ゴッホはなぜ有名になったのか?
フィンセント・ファン・ゴッホ-Wikipedia

フィンセント・ファン・ゴッホは、19世紀の後半に活躍したオランダ出身の画家です。
彼の独特な厚塗りは後世の画家に大きな影響を与えました。
それは彼抜きで絵画史は語れないほど大きなものです。
しかし、ゴッホは現在の名声とは裏腹に生前は全く売れない画家でした。

彼が生きているうちに売れた絵は1枚だけといわれています(2枚や3枚という説もあり)。
そのために貧しく、絵の具を買うのもままなりませんでした。
では、そんな売れない画家が、どのようにして世界的に有名になったのでしょうか?
それは、ゴッホの死後に彼のために奮闘した人たちがいたからです。
ゴッホは画家業を開始して以降は、
売れないのに他の仕事を掛け持つことはほとんどしませんでした。
金銭面では、弟のテオからの仕送りを頼りにしていました。
テオは兄が画家として大成することを願いゴッホを支援し続けましたが、
結果は悲劇となって終わってしまいました。
ゴッホは売れない画家のままで自殺してしまったのです。
悲しみに暮れたテオは、それでもめげずに、死んだ兄を高名な画家にしようと決意しました。
テオはゴッホ作品の宣伝をはじめましたが、
彼も兄の死から程なくして病気で死んでしまいます。
そのままゴッホは誰にも知られぬまま消えてしまうように思われました。
しかし、ゴッホ作品はその後大変高名なものとなるのです。
それは、死んだ弟に代わり、嫁のヨハンナが夫の兄のために奮闘したからなのです。

彼女はゴッホと交流があった美術関係者にアプ
ローチし、ゴッホ作品の宣伝活動を始めました。
当初はほとんど誰にも見向きされませんでしたが、
大物画商のヴォラールがゴッホの回顧展を
開いたり、
有名な画家アンリ・マチスが高く評価したりな
ど、次第にゴッホ作品は話題となっていきまし
た。

開かれた大規模な回顧展は、大変な反響を呼
び、ゴッホは一躍有名な画家となりました。
それは、ゴッホが亡くなってから15年以上経っ
た後のことでした。
続き⇒ゴッホを買いあさった日本のお金持ちたち
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